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脳の怠け状態を放っておかないようにしたいものである。とんでもないことになると思う。

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協会の記事ではありません。

 サークル仲間の所感です。  

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「ペイペイ楽やわ」

結局「楽、便利、手っ取り早い」という基準で皆が動くようになってきているのではないか。

これはデフォルトの認識機能であると思われる「快、不快」の基準の道にまるまる乗っかっているようなものだと思う。もう計算しなくていいは、イコール計算能力、チェック能力がなくなってきていることであるし、ナビを使うほど地理感がなくなる、変換するから漢字が書けなくなるなど、いたるところで脳に電気信号を送ることが少なくなり、結果能力が低下していくようである。

その昔、水平器もクレーンも、大した工具もない時代に、法隆寺五重の塔を建て、69日で東大寺南大門の2体の仁王像を制作できたという。江戸の一級の彫師は1ミリの間に10本の線が彫れたという。現代では照明、拡大鏡を使っても3本彫るのがせいぜいらしい。

おそらく当時の工人さんたちは、空間認識能力、工作能力などの諸能力が今と比べてずば抜けていたと言えるのでないか。

つまり気づきの能力が半端ではなかったように思われる。

現代はより楽にということで、便利になった反面、様々な能力がどんどん退化していっているように思う。

また何かを克服する、困難な問題に取り組むということが無くなってきたことがあり、意欲や切り開いていくという姿勢も衰えているのでないか。

そうすると精神的な忍耐力、問題解決能力の低下につながって、どうもちょっとしたことで悩むようになってきているように感じる。

戦中世代の人が、「ひもじい思いをさせたくないあまりに、物を与え過ぎた」と言われていたことがあるが、そうかもしれない。

激変する世の中のシステムの流れの中で、それこそ気づきの瞑想、マインドフルネスでもしなければ、脳は退化する一方ではないか。なくすべきでない自分の特性や能力がなくなっていくかもしれない。

便利なようで実に恐いことだ。

かの松下幸之助さんも「人と比較して劣っているといっても、決して恥ずることではない。けれども去年の自分と今年の自分とを比較して、もしも今年が劣っているとしたら、それこそ恥ずべきことである」と言われた。

脳の怠け状態を放っておかないようにしたいものである。とんでもないことになると思う。

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