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冥想日記12月19日『業 kammaの観察Ⅱ』

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協会の記事ではありません。 吉水 秀樹 安養寺住職 のfbより紹介です。

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冥想日記 12月19日  『業 kammaの観察Ⅱ』

 「業」とは、行為とその習慣力のことです。肝心なことは、過去の行為の結果でこころに蓄積した習慣力(感情)から自由になることです。過去を変えることはできませんが、「今ここ」には、完全な自由があります。

 昨日の例で考えてみましょう。法事で意見が合わず喧嘩している親族に会いました。当然、喜びではなく、嫌な感じを思い出します。これが過去のカルマです。緊張がはしり、目をそらせたり、悪感情が生れます。もし、憎しみを持ち続けて、今でも自分が正しいとしているなら、この反応(業)から自由になれません。

 また、別の例です。狭い道路で車を運転していたら、前方で老人が、フラフラと不安定に中央寄りに道をふさぐように自転車に乗っていました。運転者にとって、嬉しい出来事ではありません。「先へ行きたい」という欲を邪魔されるので、緊張感が生まれ、危険を感じ、怒りの感情が動きだします。しかし、その後の反応は人によって十人十色です。

・クラクションを鳴らして注意する。 ・睨んだり、怒鳴ったり、怒りをあらわす。 ・後ろをついて行くがイライラしている。 ・静かに後ろから見守り、広いところで抜いて行く。

★慈しみの心を育てている人なら、優しい眼差しで、こころの中で「どうぞ気をつけてください」と念じ、善行為で功徳を積む機会にすらなります。

 人間に生まれる最初の反応はロクなものではありません。よく観察してみて下さい。生命は基本、貪瞋痴のエネルギーで生きているのでこれは事実です。最初に生まれた感情の通りに行動する人は、気づきがなくて、こころの成長がありません。日頃から、慈しみのこころと気づきを育てている人なら、最初に緊張感が走っても、直ぐにそのこころの衝動に気づき、そこから自由になって、自分の願っている通りの行為をとることができます。

 これは、「小さな悟り」です。過去の習慣力から解放され、小さな解脱をしたということです。この積み重ねで、過去に蓄積した悪感情(カルマ)からも自由になることができます。  また、同じような場面で自転車の老人に出会ったとき、今度は不愉快な反応がまったく生まれず、最初から慈しみでストレスなく接することができるようになります。

 人間に日々起きている運動は、五蘊が動いているだけです。そして、私たちの世界とは六処です。見て、過去の記憶知識を呼び起こし、認識して、感情をつくって、判断し、次の行為に至ります。愚か者は、これらが一つの衝動になっていて、まったく自由がありません。

 しかし、ブッダの冥想を修している人なら、それらの縁起に気づくことができます。「見て」気づく、「触れて」気づく、「感情が生まれて」気づく、「判断して」気づく、どこでも立ち止まり、それらの反応から自由になることが可能です。これが冥想で得られる、こころの自由、小さな解脱、こころの安らぎです。

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