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協会の記事ではありません。 吉水 秀樹 安養寺住職 のfbより紹介です。
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吉水 秀樹
5月2日 No,2 冥想日記 【数numberは観念なのか?】
まず、写真を見てください。そして、事実は何かと考えてみてください。考えるまでもなく、「四つのミカンがある」と判断して、これは事実・真実だと断定される方が多いと思うのです。
しかし、私が学んだ仏教では、見たこと、聞いたこと、考えたことも、それは人間の判断の領域にあり、事実や真実ではないということになります。
人間の判断はどこまで行っても、六識のなかでの出来事で、それが=真理ではないということです。
★正見とは見解のないこと
★自分の考えが正しいと思うことが間違い
★仏教の智慧とは無分別、判断しないこと
★見解をもたない
★見たことは見ただけ、聞いたことも聞いただけ、考えたことも考えただけ
私の場合、時間が観念であり、時間は存在しないことは理解しやすいです。時間は思考のある時に生まれます。冥想で今ここにあるとき、確かに時間はないと実感されます。しかし、写真のようにミカンを見ると、迷いが起きます。
自然数というくらいですから、1.2.3.4… と正の数は実在するように人間は考えています。ところが、それは人間の世界の文化、ルールであって、実在するものではないのが真実のようです。確かに、数は人間だけの共通主観です。
ですから、結論を言うと、やはり数numberは観念であり、実在しません。人間界(仏教界)でも、数は憶えやすく忘れにくいので頻繁に使われています。
ブッダの教えも数を利用して説かれています。
四諦・八正道・十二縁起・五蘊・六根・六識・七覚支・六波羅蜜・十波羅蜜…、いくらでもあります。これらは憶えやすく、忘れにくいので、数という観念を利用して仏道を歩むように工夫されているものであって、実在するものではありません。
諸法無我のです。
仏教では、根本に「1とは何か?」Eka nāma kim? という問いかけがあるようです。これの一つの回答が、「すべての生命は栄養で成り立つ」sabbe sttā āhāraṭṭhikāです。
難しいのでこの解説はしませんが、「一体・一つ」が真理であること。
わかりやすく言うと、「不二」という仏教用語があります。私たちの生きる娑婆世界は、常に二つに分裂しています。自他・老若・善悪・男女・物心・美醜・善悪・生死…、
これらは真実の世界ではない、対立の世界です。毎日懲りずに冥想するのは、この対立を超えて善悪や生死の彼岸、対立を超えた世界に生きる為です。
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