Q&A動画、18時に配信します。
6月27日18:00より配信|どこまでが人間なのか?(人間の条件)/職業の選択/すべては妄想?/「慈悲の瞑想フルバージョン」業の観察でひっかかる #スマナサーラ長老 #ブッダの智慧で答えます #jtba #仏教
Q:どこまでが人間なのか?(人間の条件) 猿から人間が進化したという進化論と、人間と動物(畜生)を明確に区別する仏教の考え方は一致するのでしょうか? 猿から人間に進化したなら、どこから人間になるのでしょう? 北京原人は人間? イルカやクジラなど知能が高い生命は人間の仲間にならないのでしょうか? インドではイルカを「人類ではない人」として認めているそうです。
Q:職業の選択 現在私は会社の経営(飲食業)と為替相場のトレード(株のようなもの)をしております。 どちらも収益は家族を養える程度はあり、自身の瞑想修行をできる時間も確保出来ております。 本題なのですが、昨日会社の買収希望がありました。 以前より事業をどちらか一方に絞って集中した方がいいという考えはあり現在決めあぐねている状況です。 やはりどちらも欲の方向に進んでしまうものなので常に心に負い目の感情が出てしまいます。 為替相場の方は一人でできる仕事なので、会社を経営する事よりは人に迷惑をかけなくて済むんではないかと思い始めました。 家族を守るために割り切ってしまうべきだとはわかっているのですが…… このような分岐点にある場合に、何か指針にできるような教えなどありましたらお教えいただきたいです。
Q:すべては妄想? 心に表象される現象は全て妄想ですか? 客観的な事実に基づく思考も。 例えば、客観的にあると言える花があったとしても、 その花を見て心に現象化しても心に表象されるのに多少のタイムラグがあるので、 そのタイムラグの間でその花は変化している。 だから、心に表象された花は客観的ある花とは違う。だから妄想。 その様な感じで全ての知識的なものも妄想ですか? 頭にある概念と客観的にある物質は、客観的な物質を心に表象している間に変化しているから。 この内容は正しいですか?
Q:「慈悲の瞑想フルバージョン」業の観察でひっかかる いつも唱えています。業のところだけ、ちょっと引っかかってしまいます。この間受けた朝日カルチャー横浜の講義で、「生命が受ける苦楽の感覚は、業だけではなく8種類の原因によっても起こる、すべて過去の因によると決めつけるのは間違っている」と教えていただきました。そうすると、「私は私より豊かな人を見るたびに、過去に善行為をした人であると思い、喜びを感じます。」「私より不幸に思える人を見ると、生命は無明のせいで罪を犯すのだと理解し、自分が罪を侵さないようにと気をつけます。」というのは、他人を偏見でみる(他人の幸不幸は業の結果と断定できないのに)ことになってしまうのではないか、と感じてしまうのです。どのように考えれば良いでしょうか?
視聴者の皆様から届いた質問をスマナサーラ長老にお尋ねしました。2019年6月11日に収録したQ&A動画を数回に分けて配信します。その4(完結)です。
聞き手:佐藤哲朗(日本テーラワーダ仏教協会編集局長)
※生き方についての悩み、初期仏教への疑問など、長老にお聞きしたいことがある方はメール(info@j-theravada.net)または協会HPの質問BBSまでお寄せください。
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
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