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4月12日 瞑想日記 『不完全という真理』



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協会の記事ではありません。

 サークル仲間の所感です。  

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吉水 秀樹


4月12日 瞑想日記 『不完全という真理』

 スマ長老は著書の『苦の見方』に以下のように説かれています。

dukkhaは「苦」と訳されることが多いですが、四つの意味が入っています。

①不完全

②虚しい

③苦しみ

④無常 

 この四つです。ですから、dukkhaとは「苦しみ」という意味だけではないのです。

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 どういう訳か、「不完全」が一番にあります。Dukkhaがなければ生命は成り立たないし、不完全だからこそ生命が存在するわけです。

 私は10代の頃からdukkhaという言葉は知っていましたが、まったく理解はできていませんでした。50歳を越えて、ようやく一番目の「不完全」という意味が理解できるようになりました。それは、「苦しみを知った」と言うより、結果的に「楽を知った」ということです。

 自分も社会も不完全なんだから、何も頑張らなくてもいいんだと覚りました。自分の愚かな経験を踏まえて、スマ長老の言葉を聴くと味わいが深いです。

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【No,094、およそこんなことが書いてありました】

 ストレスがたまらないようにするにはどうしたらいいのでしょうか? ストレスがたまらなければ、ストレス解消の必要もありません。

 まず、大切なことは、自分は不完全でいいのだと認めることです。我々は大した存在ではありません。ロクな人間ではないのです。大して頭もよくない、大した美人でもない、大して立派な人間ではない、知識人でもありません。

「大したことはできないけど、それなりに頑張って生きている」と考えるのが一番です。適当に、ほどほどに頑張っているんだという考え方。それは危険なように聞こえるかも知れませんが、危険ではないのです。大したことをしようとするほうが、かえって危険なのです。大したことをしようとすれば、自己破壊の道を進んでしまいます。

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